岡山大学病院での検査も終わり、手術の予約を早くしたかったため、
セカンドオピニオンのさとうクリニック受診前に両親にカミングアウトしました。
カミングアウトは強制ではないのでしなくてもいいのですが、僕としては両親のことが好きなので、
どうしても理解してほしいという想いが強く、カミングアウトしました。
自分勝手ではありますが。。
母親へのカミングアウトは岡山大学病院に受診するずっと前に1度しています。
まずはその時の1回目の母へのカミングアウトについて・・・
カミングアウトについてはすごく悩みました。
トランスジェンダーであることは、付き合った彼女と仲の良い友人数人しか話していませんでした。
仲の良い友人にカミングアウトするのと両親にカミングアウトするのではやはり全然違います。。
特に僕の両親はどちらかといえば昔の考え方の人なので。。
両親の精神的負担を考えると伝えるか本当に悩みました。。
両親には自分以外の兄弟も心配ばかりかけて迷惑をかけたりしているので
僕のことでもっと精神的に追い込んでしまうのではないかとすごく心配でずっと話せないでいました。
でも彼女と出会えて、自分自身の人生を真剣に考えるようになって、
このまま自分自身も家族も騙した状態でなんとか生きて、そんな人生で本当にいいのか?
最終的に自分の人生は1回。苦しい道かもしれないけど、自分が生きたいように生きよう。
両親も大事だけど自分自身も大事にしたい!と自分自身に言い聞かせてカミングアウトする決心をしました。
両親にカミングアウトする前に両親のメンタルをケアしてくれる人がいた方がいいと思い、
家族の中で唯一理解してくれていた妹に協力してもらいました。
妹には母親に話す前にカミングアウトしました。
妹はすごく優しくて「気付けなくてごめんね。今まで私が想像する何倍も辛かったよね。母さん達のこと考え過ぎずに○ちゃんが生きたいように生きやすいようにしたらいいと思うよ。」と声をかけてくれました。すごくいい妹を持ったんだなーと感動しました。。
妹と日程調整し、実家で話しました。
当日泣いてしまって想いを伝えられない可能性を考えて、手紙を書きました。
両親それぞれに時間をかけて言葉を選びながら手紙を書きました。
前日に母には話したいことがあるとLINEをしておきました。
そこで良い話ではないことは察しているようでした。
当日、まずは母にと思い、先に話しました。
僕は小さい頃からずっとボーイッシュだったし、どこかで母は勘づいていてくれて、
受け入れてくれるんじゃないかと正直期待していたところがありました。。
でも実際に話すと、母は認めることができない、受け入れられないようでした。。
その時は、彼女がいたこと、その人とはお別れする事になるだろうけど、
これからの人生、このまま本当の自分を隠して生きていくことが本当にしんどい。
物心ついたときから性別の違和感はずっとあった。治療を進めて、いつか家庭を持てるようになりたい。
とういうような内容を話し、事前に用意しておいた手紙を渡しました。
でも母は「なんとなく感じではいたけど、違うと信じていた。そこを見ないように生きていた。いつか男の人を連れてきてくれると思っていた。そのままでいて。そのままのあなたで十分素敵じゃない。勝手にいろいろ決めないでよ。。」と大号泣で治療に対して大反対でした。。
取り乱した母を見てすごくショックを受けました。僕はなんてことをしてしまったんだろう。
苦しめてしまっている。悪いことをしてしまった。と僕自身も取り乱しました。
こうなる想定をしていなかったので準備不足だったなと今となっては思います。
また、その時に父にも話そうと思っていましたが、母から父には理解ができないから話さないで欲しいと言われたのでこれ以上は今話しても話が進まないと思い、その日は妹に母の事をお願いし、自分の家に帰りました。
その後、母からLINEがきて、理解しようとは思うけど治療にはまだ賛成できない。でも、気にせず実家には帰っておいで。というような内容でした。
そこから母のメンタルも考慮し、治療のことは話さず、触れずに数年過ごしました。
何もなかったかのように過ごしました。母の中ではずっと考えていたと思いますが。。
きっとずっと泣いてたんだろうな。。自分が母親の立場だったらと思うとどうしても申し訳ないと思ってしまいますね。
辛いことも多かったけど、両親の元に生まれて自分は幸せであること、誰のせいでもないから母には自分を責めないで欲しいと手紙に書いたことはよく覚えています。
両親へのカミングアウトのことを思い出すといつも暗い気持ちになります。。
まあ明るい話題ではないですもんね。笑
少し長くなってしまったので2回目のカミングアウトは次で書かせてください。
よろしくお願いします!
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